親や周囲に反対された時どうしたか

私は郵便局の営業職員として9年間程在籍をし、その後医師会のメディカルセンターの事務職員として9年間程在籍をしました。

私は就職氷河期世代であったこともあり、大学を卒業後は2年弱程就職浪人をしていました。

就職浪人中の1年目は就職活動をする傍ら、自分で資格試験合格の勉強に励んでいました。

2年目になり、今では当たり前のようになっているITですが、当時は創成期であり、恥ずかしながら私はパソコンも携帯電話も持っておらず、ITには疎い状態でしたので、就職活動の一環も兼ねて、プログラマーになろうと一大決心をして親に頼んでプログラミグの専門学校に通学しました。

そこでIT関連の知識を学ぶことができたことはもちろんですが、専門学校ということで就職のための勉強ができたことが大変役に立ちました。

当時の私はコミュニケーション能力が不得手でしたが、専門学校では面接試験対策等も学ぶことができたこともあり、1年目の年末に、当時の倍率は25倍とも言われていた郵便局の外務員として3回目の挑戦でやっと採用されることになり、専門学校を中途退学することになりました。

そういった経緯もあり、当時壮絶なパワハラが横行していたという経緯で郵便局を退職するときは、母親は賛成をしてくれたのですが父親は反対されていました。

父親とは何度か話し合いをしたのですが、民営化後とはいえ大企業である郵便局を退職することは将来的に損をするという考えを持っていたこともあり平行線でした。

私が思い悩んで生活をしていた中、普段以上に強力なパワハラを受けた日があり、いつも以上に仕事終わりのお酒が進んで馴染みのお店を数件ハシゴした挙句、最後のお店のママにいつもより荒れている感じと心配され会計も安くていいから気をつけてと励まされる始末でしたが、家に帰って2階の自室で夜食を食べてお代わりをしようと1階のキッチンに向かった時に階段から落ちて頭を流血しました。

直ちに近くの救急病院にいって大事には至らなかったのですが、この件により父親は退職することを了承してくれました。

仕事覚えられない萎縮

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